もう、すっかり秋ね。
田んぼの稲も収穫の時期が近づいてきたみたいだわ。
そうだな。
早いところでは、既に刈り取りの終わった田もあるようだぞ。
うむうむ。
今年も美味しい新米の季節がやってきましたなぁ……。
まあ、いくら稲穂が綺麗だからって、あまり田んぼをじっと見るのは感心しないけどね。
どうして?
別に、田んぼくらい見ても構わないじゃない。
うん、確かにちょっと見るだけなら大丈夫かもね。
でも、あまりじっと見過ぎちゃうと、遠くの方に『何かくねくねした物』を見つけちゃうかもしれないしさ。
なによ、その『何かくねくねした物』っていうのは……。
だから、『何かくねくねした物』だよ。
それ以上は、私にも判らないんだけど……気になっても、絶対に近づいて正体を確かめようなんて思ったら駄目だよ。
そう言われると、逆に気になるんだけど……。
なんで、正体探ろうとしたらいけないのかしら?
この変な物体、遠くから見ている分には構わないんだけど……近くに寄って見たり、双眼鏡で覗いて見たりしたが最後、頭がおかしくなっちゃうんだってさ。
現に、どこかの田舎町でこれの正体を探ろうとして双眼鏡を覗いたお兄さんの方が、そのまま狂って二度と元には戻らなかったなんて話があるよ。
二度と元には戻らない、か……。
だが、兄の方は『何かくねくねした物体』の姿を細かく見たことに違いはないのだろう?
ならば、最後に何か、その物体の正体に関する話などを残さなかったのか?
残念ながら、そうなんですなぁ……。
お兄さんは側にいた弟に、『ワカラナイ方ガイイ……』とだけ言って、そのまま狂っちゃったんだよね。
最後は、それこそ、あの『何かくねくねした物体』のように笑いながらゆらゆら揺れて、弟の声も届かなかったんだとか。
何よそれ、気持ち悪いわね。
そのお兄さん、最後はどうなっちゃったの?
さあね。
でも、その兄弟のお爺さんは、例の物体の正体を少しは知っていたのかな?
精神を病んでしまったお兄さんを引き取る際に、『いずれは田んぼに離してやればよかろう……』と言ったんだとか……。
いずれは田んぼに、か……。
その老人が言っていた言葉から察するに、兄の方は『何かくねくねした物体』と同じ存在になってしまったと考えて構わないのか?
一部では、そういう見方をする人達もいるみたいだね。
まあ、本当のところは私にもわかんないんだけどさ。
わかったら気が狂っちゃうんだったら、下手に正体探らない方が身のためかもしれないし。
結局、そういうオチなのね……。
でも、本当に何だったのかしら、その『何かくねくねした物体』って?
犬崎君は、何か心当たりある?
さあな。
俺もいくつか候補を思いつきはしたが、どれも決め手に欠ける。
それに、一部の説は非常にデリケートな問題を孕んでいるので、やたらと面白半分に語るのもどうかと思うがな。
デリケートな問題?
何なのよ、それ?
そうだな……。
お前達は、『てんかん』と聞いて何のことかわかるか?
えっ……!?
それ、確か突然に発作を起こして苦しんじゃう持病のことじゃなかったかしら?
その通りだ。
嶋本の言っていた『何かくねくねした物体』を見た際の症状とは、『てんかん』の症状と思えなくもない。
いきなり人前で発作を起こせば、幼い子どもからすれば、兄が急に狂ったと思ってしまってもおかしくはないからな。
な、なるほど!
確かに私も思いつかなかった……けど、納得ゆく説ではありますなぁ。
でも、だったら何で、今までそんな説が大っぴらに語られてなかったんだろ?
当然だ。
今でこそ『てんかん』は科学的に解明されているが、医学の未開な昔の時代では、『狐憑き』などと言われて露骨に差別されていた。
そればかりか、『狐筋』などと呼ばれ、家族に患者が出た場合、家ごと差別されて村八分にされることも多かったと聞くな。
霊的な存在と関わる力を持った俺自身、そういった類の話は下らん迷信だと思ってはいるが……今もなお、そうした差別に囚われて、他人を偏見の目でしか見ない人間が存在することも確かだ。
酷い話ね、それ!
病気で苦しんでいる本人や家族の気持ちも考えないで、そんな扱いするなんて!!
お前の怒りはもっともだ、九条。
しかし、それでも一度根付いた差別感情は、なかなか消えるものではないからな。
嶋本の話にあった物体を決して見てはいけないというのも……患者に決して関わってはいけないという話が転じて作られた可能性もある。
なるほどね……。
それじゃあ、見るだけで狂うっていうのも、子どもを患者に近づけないようにするために大人が作った迷信だったってことかしら?
う~む……。
確かに犬崎君の説にも一理ありますなぁ……。
でも、残念ながらこの話、21世紀になってから語られ始めた話なんだよね。
そうすると、照瑠の言っている『最初から大人が子どもを騙すために作った』って部分が、どうにも引っ掛かっちゃうんだよね……。
確かに、そう言われてみればそうね。
だとしたら、亜衣は何だと思ってるわけ?
えっと……。
ちょっとオカルトめいた話になっちゃうけど、いいかな?
照瑠はドッペルゲンガーって聞いたことある?
ドッペルゲンガー?
そんな言葉、初めて聞いたわよ。
おや、そうですか?
それじゃ、ちょいと説明して差し上げましょう。
えっと……ドッペルゲンガーっていうのは、ドイツ語で『もう一人の自分』って意味なんだ。
世の中には自分に似ている人が、自分を含めて三人はいるなんて話があるけど……そういったそっくりさんじゃなくて、完全に霊的な自分のコピーみたいな存在のことだね。
なるほど、要は生霊というわけか。
うん、そういう言い方もできるかもね。
それで、このドッペルゲンガーなんだけど……これに出会った人は、そう遠くない内に原因不明の事故だか病気だかで死んじゃうって話なんだ。
だから、決して見てはいけないし、会ってもいけない。
その辺が、さっきの話と共通する部分を持ってはいるよね。
そうねぇ……。
でも、畑で踊っていた物体を見た人は、死ぬんじゃなくて狂うんでしょ?
だったら、亜衣の言っているドッペルゲンガーとは必ずしも同じじゃないと思うんだけど……。
むむ、なかなか手厳しい御意見で。
まあ、そうすると残された候補は、もうクトゥルフの神性に匹敵する存在くらいしかないんだけどね。
あれも、関わったら狂うってところが共通しているし。
クトゥルフの神性?
そうだよ。
元々は、ハワード・ラブクラフトって人が考えた暗黒神話に登場する神様なんだけどね。
実際は神様っていうより、宇宙生物とか異次元生物に近いかな?
所詮は創作の中の話だから、本当にそんな神様とか生き物はいないんだろうけど……クトゥルフ神話に出て来る神様は、人間の考えの及ぶような存在じゃないみたいだからね。
実際、彼らに関わった結果、最後は登場人物が発狂して終わっちゃうような話も多いんだ。
宇宙規模の絶対的恐怖を扱った小説だから、コズミック・ホラーなんてジャンルに分類されるのかな?
最近は、これを元ネタにしたコメディ的作品も多いみたいだけどね。
なるほど。
そういう意味では、先ほどの話は現代日本におけるクトゥルフ神話と言っても過言ではないのかもしれんな。
触らぬ神に祟り無し。
人間、好奇心旺盛なのもいいが、時には自重することを覚えんと、手痛いしっぺ返しを食らうことになるのかもしれん。
まあ、正体がどうあれ、凝視しなければ大丈夫なんでしょ?
見たら発狂する物体なんて、本当にいるなら遭遇したくはないわよね
確かにな。
もっとも、見たら発狂する物体は暗黒神話の邪神だけというわけではないぞ。
そろそろ先日の試験の結果が出ている頃だが……嶋本、お前の成績はどうだったんだ?
えっ……あ、あはは……。
『ワ、ワカラナイ方ガイイ……』な~んちゃって!!
それじゃ、今日はこの辺で……さよなら!!
やれやれ……。
この分だと、ま~た数学が駄目だったわね。
あの娘にとっては『何かくねくねした物』なんかよりも、目の前のテストの方が、よっぽど恐ろしいみたいね。
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