なんだか最近、雨が多いわね。
今日も雲行きが怪しいし……。
もうすぐ梅雨だからかしら?
そうだね。
これからの季節、折りたたみ傘は必需品ですぞ。
後、念のためにポケットに塩の瓶を潜ませておくことも忘れずにしないとね。
えっ、塩の瓶!?
折り畳み傘だったらわかるけど……何で塩なんか必要なわけ?
なーんだ、照瑠は知らないんだ。
こういった雨の日に傘を忘れて外に出ると……なめくじおばさんに遭遇するかもしれないんだよ。
なめくじおばさんは塩が嫌いだから、いざという時はこれをぶつけて逃げるんだ。
なめくじおばさんって……。
いったい何者なのよ、その人は。
う~ん……。
私にも、正体はよくわかんないんだけどね。
それに、そもそも彼女が人間なのかどうか、それさえもわかんないし。
人間じゃない?
それじゃあ、妖怪か何かの類なわけ!?
まあ、そうとも言えるかもしれないね。
もっとも、見た目は一見して普通の優しそうなおばさんで……それこそ、その辺のスーパーで買い物してそうな、どこにでもいる主婦にしか見えないんだ。
ふうん……。
なんか、今までの噂とは随分と違うわね。
『口裂け女』や『ひきこさん』とは違って、普通のおばさんの姿してるなんて……。
ふっふっふ……。
甘く見たら駄目だよ、照瑠。
なめくじおばさんはとっても優しそうに見えるけど……間違っても、彼女に
ついて行ったりしたら駄目だからね。
ついて行く?
その人、いきなりこっちに何かをしてくるわけじゃないのね。
うん。
なめくじおばさんは、傘を忘れて家に帰れなくなった子のところへ現れて、『おばさんの傘に入って行かない?』って誘うんだ。
そうやって、子どもを自分の傘に入れて……後は、どこかへ連れ去ってしまうんだよ。
なにそれ、立派な誘拐じゃない!
だとしたら、その攫われた子どもたちは……。
まあ、そこから先は、たぶん照瑠の想像している通りだよ。
おばさんに攫われた子どもは、翌日になって空き地や原っぱなんかで死体となって発見されるんだ。
しかも、その口や耳、鼻なんかには、なめくじがたくさん詰まってる。
攫った子どもを自分が飼ってるなめくじの餌にしてるってのが、もっぱらの噂だよ。
うげぇ……。
なんか、随分と気持ち悪い話になってきたわね。
なめくじの餌にするために子どもを誘拐するって……やっぱり、何か子どもに恨みでもあったのかしら?
えへへ、ちょっと怖かった?
まあ、心配しなくても大丈夫だよ。
この話、どうせ創作だってことがわかってるからね。
昔、このサイトの管理人が小学生くらいの頃に、少年マ○ジンか何かの漫画に載ってた話だもん。
あのときは、こういった怖い話系の漫画が妙に人気だったみたいでね。
その流れに乗っかって、雨の日ならではの新しい妖怪が作られたってところかな?
なによ……。
それじゃあ、別に塩なんて持ち歩く必要ないんじゃない。
わはは、バレましたか!!
でも、この話を作った人は、当時の世相ってやつを良くわかっていたと思うけどね。
世相?
うん、そうだよ。
この当時は、世間でも誘拐事件に対する警戒意識が強まって来た頃でね。
照瑠は、『宮崎勤事件』って聞いたことない?
う~ん……あるような、ないような……。
私達が生まれる前の話なんて、正直、ちょっとわからないわよ。
まあ、普通はそうだろうね。
簡単に説明すると、『宮崎勤事件』ってのは、犯人の宮崎勤って男が幼児を誘拐、監禁した揚句、猟奇的な方法で殺したっていう事件なんだ。
この事件のせいで、今までの誘拐事件に対する常識が覆されて、犯人の快楽のために子どもが殺される可能性ってのが出て来たんだよ。
なるほどね。
確かに、それはちょっと怖いわね。
身代金目的だったら、お金を渡せば助かる可能性もあるけど……相手が最初から殺す目的で攫ったんだとしたら、絶対に助からないわけだしね。
そういうこと。
それに、今までは狙われるのがお金持ちの家の子だけだったけど、変質者が狙うのは、別に家がお金持ちの家の子だけってわけじゃないからね。
それこそ、お金持ちも貧乏人も関係なく、どっちも同じように狙われちゃう。
『渡る世間に鬼はない』な~んて言うけど、この頃からはどっちかって言うと、『人を見たら泥棒……もとい誘拐犯だと思え』なんて考えが広まり始めたんだね。
そうね……。
人を疑うのはよくないってわかってはいるけど……確かに、今じゃ知らないおばさんの傘に入れてもらうなんて、危なくてできないもんね。
下町風情のある助け合いの精神よりも、自分の身は自分で守るって考えの方が主流な気がするわ。
現実ってのは、時に残酷だからね。
地域の中でも人と人との関わり合いが薄れて行って、同時に他人に対する疑心暗鬼な気持ちばかりが広がってゆく。
例え同じ地域に住んでいる人であっても、迂闊に信用するのは危険な時代。
そういった諸々の不安を寄せ集めて誕生したのが、なめくじおばさんの話なんだと思うよ。
なめくじおばさんは、正体のわからない誘拐犯に対する疑心暗鬼が生んだ怪物なのね。
創作ってことは、本当にいるわけじゃないんだろうけど……私はむしろ、その怪人を考えた漫画家や編集者の人の想像力に感心するわ。
―――― ガラガラガラ……。
なんだ、お前達。
今日は随分と集まるのが早いみたいだな。
あっ、犬崎君。
そういうあなたこそ、今まで何やってたのよ。
ちょっと、ここに来る前に、妙な女に声をかけられてな。
なにやら小汚いエプロンをつけた中年女だったんだが……。
エプロン姿の中年女!?
ま、まさか、それって……!!
(ねえ、亜衣。
あなた、さっきの話は全部創作だって言ってたわよね……。)
(う、うん……。
でも、本当に本物のなめくじおばさんがいないなんて証拠も、実はどこにもないわけでして……。)
ね、ねえ、犬崎君。
そのおばさん、あなたに何て言ってきたの?
まさか、『私の傘に入っていかない?』なんて聞かれたとか……。
いや、それはないな。
むしろ、『百円を貸してくれ』とこっちに頼んで来たぞ。
貸せと言われたから、とりあえずは貸してやったがな。
な、なにそれ。
ただのホームレスじゃない……。
心配したこっちが損したわ。
いや、しかし……まさか、あの伝説の『百円おばさん』が未だに生き残っていたとはね。
通行人に百円せびって、それで生活するホームレスって……たしか、昭和50年代くらいまでは生息していたって話を聞いたことはあるけど……。
でも、それにしても……犬崎君が自分から誰かにお金を貸すなんて、珍しいこともあるのね。
普段だったら、お金には割とうるさいはずなのに。
なんだ、そんなことか。
だったら気にするな。
三日後に帰さなければ利息を十割にしてやると言っておいた。
貸したものは、きっちり利息をつけて返して貰うのが当たり前だからな。
利息って……相手の住んでるところもわからないのに、どうやって取り立てるつもりなのよ!?
それ以前に、なんなのその高金利は!!
今時、闇金だってそこまでえげつない利息をつけないわよ!!
そうか?
利息がつく前に返金すれば、なんの問題もないと思うがな。
それに、取り立ての件も心配は無用だ。
俺の犬神、黒影は、あの中年の女の臭いをしっかり覚えているからな。
この街にいる限り、やつに逃げる場所は存在しない。
ひょぇ~っ!
『百円おばさん』も、とんでもない人にお金を借りちゃったね。
『なめくじおばさん』にしても、間違って犬崎君を誘ったら、逆に返り討ちにされちゃうんでしょうなぁ……。
誘拐も物乞いも、決して誉められるような行為ではないけど……今回ばかりは、その『おばさん』達に、私も同情しちゃうわね……。
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